代官山ヒルサイドテラス-街路の復権

前の投稿でジェイン・ジェイコブズと、「アメリカ大都市の死と生」を取り上げました。街路の復権とコミュニティの創出という意味で、日本にも教科書的なお手本がいくつかあります。その代表例が槇文彦設計の「代官山ヒルサイドテラス」です。日本的な「見え隠れする都市」の構造を抽出し、30年という長い年月をかけて、小さな街路や広場の連続によって構成されたこの街並みは、代官山というエリア全体のステイタスを押し上げました。さらに、東急東横線のイメージを向上させたといっても過言ではないと思います。ここでは、街路と小さな広場の連続という視点からその特徴をざっと紹介したいと思います。

山手通りと引き込まれた街路との関係、歩道と並行するデッキに高低差をつけて場に変化をもたせています。

建物と建物の間のスペースを利用し、隣地との高低差を利用して作られた広場です。年月が経ち植栽が伸び、陽を遮るシェイドとしても機能しています。

歴史的記憶として、元からあった由緒ある塚を残しています。

通りを挟んだ6期工事でも、使われているマテリアルや納め方は変わっても、空間構成の考え方は継承されています。小さな広場と街路の連続。

別のクライアント、別の建築家による、隣地に建つ蔦屋(代官山T-site )にもこの空間構成は継承されています。こちらの設計はクライン-ダイサムアーキテクト。小さな街路空間に多くの人がたむろしています。

少し離れたところにあるヒルサイドテラスアネックス。こちらは外部ではなく建物内部ですが、通り抜けの空間に小さな中庭が面しています。表と裏の通りの高低差をうまく利用しています。


長い年月をかけて作られた、小さな広場や街路の連続がコミュニティを形成する空間になっています。この日もゴールデンウィーク初日でしたが、どこもそぞろ歩きする人がたくさんいました。良い実例が日本にもいくつもあります。こういった場を増やして、子どもたちと高齢者が交わる場をつくっていきたいと思います。


関連ページ

コミュニティの再生を考える上で、街路の復権を1960年代に唱えた、ジェイン・ジェイコブズの著作と映画について書きました。槇文彦の建築にも大きな影響をあたえています。

アメリカ大都市の死と生

ジェイン・ジェイコブズ-ニューヨーク都市革命-