バブル期に多くの建築が外国人建築家によって建てられたが、その中で本当に価値があるものは少ない。その数少ない例がこの「ホテルイルパラッツォ」だろう。
「ホテルイルパラッツォ」は、バブルの絶頂期だった1989年、福岡市の中心部に、イタリア人建築家アルド・ロッシの建築設計と、内田繁のインテリアデザインによって建てられた。それまでヨーロッパでローコストの建物しか設計できていなかったロッシが、日本のバブル経済に乗って初めてふんだんな予算を使って建てた、後期のロッシのデザインを代表する建物である。(いまの中国やドバイで建てている建築のようなもの、そんな時代がつい30年前日本でもあったのである)
初めて見に行き、泊まった時のことを今でも覚えている。福岡のどちらかというと旧市街、ラブホテルとかもあった下町に突然どかんと現れたヨーロッパ建築。その強烈なファサードデザイン、正面性に驚いた。そして側廊の部分が見事にイタリアの街路になっていて、よくロッシの作品について言われる「デ・キリコの絵画」のような空間が現実化していた。そこは当時倉俣史郎他、数人の建築家やデザイナーが嗜好を凝らしたバーが設置されていて、夜になるとその照明と併せてより異界性が際立った。
この建物のことを思い出したのは、コミュニティの形成に向けた、日本の街路空間の考察と、その流れの中で、ヨーロッパの街路空間との違いについて考えていたからである。ヨーロッパの街路は広場につながり、その広場は教会に面している、その教会は強烈な正面性をもち、広場と対峙している。それにくらべて日本の街路は奥が見えない。歩いているといつのまにか社寺につながり、鳥居や門をくぐって社寺の正面に到達する。ロッシのこの建物は強烈な正面性をもって日本の街並みに対峙し、それがランドマークとして機能している。
1960年代にロッシの書いた「都市と建築」は、まだ彼が三十代で、ほとんど実作ができていなかったころの著作である。ヨーロッパの都市を歴史的に分析しエッセンスを抽出したその本は、1970年代以降の建築に大きな影響を与えた。ロッシが操る尖塔、回廊、勾配屋根などの建築言語は、ポストモダンの流れと共に一世を風靡した。
その風潮は消費されいつしか廃れたが、ロッシの建築は今なお福岡の地に輝きを放っている、日本のコンテクストに突然出現した、ヨーロッパの都市の断片、それは街並みとシームレスにつながっているのが、とても面白い。
この建物と、近くになるジョン・ジャーディの「キャナルシティ」これは、海外の建築家を起用した数少ない成功例である。日本的ではない強烈な空間が街を変えた良い例だと思う。
何回見てもこの建物の正面性はすごい、窓が全くなく列柱で処理している割り切り方!赤いインド砂岩の使用はヨーロッパと東洋の交点を意識したとのこと。