
「アメリカ大都市の死と生」黒川紀章訳、1977年、原著は1961年
現代都市計画を考える上でのバイブル、原著の出版は1961年なのに、いまだにその中身は古びていない。前のブログにも書いたけれども、コミュニティのデザインなどを考えるとき、しばしば読み返す本。だけど、まさかこの人をテーマにした映画が製作され、しかも日本で公開されるとは思わなかった。それは、この本で書かれているモダニズム批判、街路の再生、コミュニティの再生が、いまだに価値があり、日本でも大きなテーマなっているということなのだろうけど。(私もいま単に思考としてだけでなく、実際のプロジェクトの要素として考えている)
目次を見るだけで、この本の言いたいことの概要はわかる。目次を書き写す。
Ⅰ章 都市の特性
- 歩道の用途ー安全性
- 歩道の用途ー接触
- 歩道の用途ー子供の同化作用
- 近隣公園の利用
- 都市近隣住区の用途
Ⅱ章
- 多様性の発生源
- 混用地域の必要性
- 小規模ブロックの必要性
- 古い建物の必要性
- 集中の必要性
- 多様性についてのいくつかの神話
この目次の項目に合わせて、豊富な逸話が語られていく。そこで語られている様々な近代的計画によるコミュニティの消失、モダニズムの理論に合わせて建てられた高層住宅が、竣工と同時に賑わいのない場になること、そしてそれが住民の退去の原因になり、治安の悪化とともにスラムへの道を歩むこと。それらは何年もたってわかったのではなく、竣工した時から人のいない広場を見ただけでも明らかな事態だったのだ。
この本は日本においてもユニークな受容の過程を経ている。翻訳はあの黒川紀章、訳者あとがきを読むと、1961年彼がNY大学を訪問した時に学生たちがこの本について議論しており、それに巻き込まれたのがきっかけだという。一見黒川のスケールアウトの発想からは縁遠いように見えるが、彼が中間領域をデザインしたいくつかの作品、「福岡銀行本店」や、表参道の「日本看護協会ビル」の裏通りへの通り抜けの道など、街路や賑わいの復権は彼の思想にもしっかりインプットされているように思える。
この本は実は1977年の日本語版出版当時、後半が翻訳されていない。その部分をずっと読みたいと思っていたところ、なんと2010年に完訳が出た。翻訳者はあの山形浩生。こちらも近々読んでみるつもりである。1977年版はSD選書のフォーマットの中で内容をぎゅうぎゅうに詰め込んでいるため字が小さく読みづらい、新訳は字も大きく読みやすそうなので、それもありがたい。

アメリカ大都市の死と生(2010年版)山形浩生訳
日本も1970年代の近代の見直し、オイルショックなどの流れの中で、この本で書かれているような街路の復権、テラスハウスやタウンハウスなどの低層集合住宅の考え方が市民権を得たが、1990年代のバブルのおかげで、高層マンションがすっかりポピュラーなものとなり、バブル崩壊以後もその流れが続いている。住み手の側からの高層住宅の否定と、街路の復権という意味で、この本はいまやアメリカより日本や中国での価値が高くなっていると言えるかもしれない。