「マルセル・デュシャンと日本美術」展

10月2日より東京国立博物館で開催されている「マルセル・デュシャンと日本芸術」展、この三連休時間を作って早速観て参りました。世界に冠たるマルセル・デュシャンのコレクションを有するアメリカ・フィラデルフィア美術家との共同開催で、もう現地に行かない限り二度と見られないようなデュシャンの作品群をまとまってみることができるはじめての機会です。私も実物は一回も見たことがなく、ずっと作品集で眺めていた一連の作品と出会えるので、開催が告知されてからずっと楽しみにしておりました。日本側のキュレーションは東京国立博物館の名物ディレクター松嶋雅人。


改修されたエントランスホール、設計は安井建築設計事務所


久しぶりに国立博物館を訪れたら、エントランス部分が改修されていて、チケット売り場に行列が、三連休ということもあり、混んでいるかと思いかなり構えて苑内に入ったのですが、、、展示は奥の新館で、館内に入って人ががくんと減り、二階の展示室でゆっくり展示を見ることができました。

展示は、これまで国内でぼくもかなりの数の展覧会を見てきましたが、その中でも屈指の素晴らしい展示で、じっくりデュシャンの世界を時系列に合わせて体験することができました。初期の絵画作品「階段を下りる裸体」「機械に置き換えられた花嫁」から、レディ・メイドの作品群、そして、さまざまな書簡やアトリエの写真など、これまで見たことのなかった関連資料も素晴らしく、もういちどデュシャンと、彼が現代美術に与えた影響についてじっくり考える機会になりました。作品についている説明のキャプションも判りやすくて素晴らしい!

デュシャンの俗に言う「大ガラス」→「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」も、レプリカですが見ることができました。これもどれだけ見ていても飽きない作品で、別のコーナーでトランクに納めたデュシャンによるさらなるレプリカも含めて、コピーとオリジナル、実態と影、ガラスという素材の意味など、単品ではなく作品群をつなげてみることで様々なテーマが浮かび上がってきます。


こちらは本物の「大ガラス」の写真。輸送中に入ったヒビをのちにデュシャンは「大きな意味がある」と考えるようになった。ヒビのため動かせなくなったことにより、輸送可能な普通の芸術作品の意味を問うものになっている。

ジャン・ヌーヴェルのカルティエ財団ビル、これも大ガラスのコンセプトを導入した建築。デュシャンの大ガラスが建築に与えた影響は大きいです。


じっくり作品群を見た後、同時に展示された日本芸術の展示も素晴らしく、松嶋キュレーターらしい批評精神により、日本芸術と西洋芸術との比較による、空間や時間概念の違い、表層には表れていない日本人の中に根付いている感覚を浮かび上がらせています。これも興味深かった。日本芸術部分の展示は国立東京博物館の作品群から今後も企画に合わせて入れ換えられていくとの事です。

さて、展示を満喫した後、一階に降りたら行列が、、、何かと思ったら今回のデュシャン展のフィラデルフィア美術館側のキュレーター、マシュー・エフロン氏の講演会が、、、なんと席に余りがあり、飛び込みで聞く事が出来ました。内容はデュシャンの生涯をたどりながら、その謎めいた作品群を解き明かしていくということで、今回の展示の内容を側面的に理解する助けになりました。

面白かったのが講演終了後のエフロン氏への質疑で、ある質問者がデュシャンのアトリエがあった場所を訪れたら、デュシャンのアトリエのあった部屋「403号室」「405号室」の間のプレートが外されていた。その部屋はフィラデルフィア美術館が所有されているのではないか?という質問で、それに対するエフロン氏の答えが、私はアトリエに行ったことがないし、そんな話も聞いたことがない、とのこと。この話もなんとなくありそうな話でもあり、デュシャンらしい謎のひとつで、草葉の影?でデュシャンがほくそ笑んでるのではないか、とも思います。

何回も書きますが、デュシャン展が空いているなんてどういうことか?講演に予約なしで入れるなんてどういうことか?なんで満員、満席でないの?と思います。こんなに貴重で画期的な展覧会なのに、客が入っていない。やっぱり日本人はスタジオジブリ展やモネ展の方かいいのか?いやジブリもモネもいいですよ。でも本物の現代美術の真髄を、ぜひもっと多くの日本人に体験して頂きたいものです。


私の一番好きな作品、「機械に置き換えられた花嫁」も実物を見ることができました。これも凄かった。当たり前ですが、写真ではわからない筆のタッチなども見て取ることができます。レディメイドの概念を生み出したこの人が、あえて絵画も続けていたらどんな作品群を生み出していたろうか、と想像しても楽しくなります。


 

 

 

ホテルイルパラッツォ/アルド・ロッシ/都市の建築

バブル期に多くの建築が外国人建築家によって建てられたが、その中で本当に価値があるものは少ない。その数少ない例がこの「ホテルイルパラッツォ」だろう。

「ホテルイルパラッツォ」は、バブルの絶頂期だった1989年、福岡市の中心部に、イタリア人建築家アルド・ロッシの建築設計と、内田繁のインテリアデザインによって建てられた。それまでヨーロッパでローコストの建物しか設計できていなかったロッシが、日本のバブル経済に乗って初めてふんだんな予算を使って建てた、後期のロッシのデザインを代表する建物である。(いまの中国やドバイで建てている建築のようなもの、そんな時代がつい30年前日本でもあったのである)

初めて見に行き、泊まった時のことを今でも覚えている。福岡のどちらかというと旧市街、ラブホテルとかもあった下町に突然どかんと現れたヨーロッパ建築。その強烈なファサードデザイン、正面性に驚いた。そして側廊の部分が見事にイタリアの街路になっていて、よくロッシの作品について言われる「デ・キリコの絵画」のような空間が現実化していた。そこは当時倉俣史郎他、数人の建築家やデザイナーが嗜好を凝らしたバーが設置されていて、夜になるとその照明と併せてより異界性が際立った。

この建物のことを思い出したのは、コミュニティの形成に向けた、日本の街路空間の考察と、その流れの中で、ヨーロッパの街路空間との違いについて考えていたからである。ヨーロッパの街路は広場につながり、その広場は教会に面している、その教会は強烈な正面性をもち、広場と対峙している。それにくらべて日本の街路は奥が見えない。歩いているといつのまにか社寺につながり、鳥居や門をくぐって社寺の正面に到達する。ロッシのこの建物は強烈な正面性をもって日本の街並みに対峙し、それがランドマークとして機能している。

1960年代にロッシの書いた「都市と建築」は、まだ彼が三十代で、ほとんど実作ができていなかったころの著作である。ヨーロッパの都市を歴史的に分析しエッセンスを抽出したその本は、1970年代以降の建築に大きな影響を与えた。ロッシが操る尖塔、回廊、勾配屋根などの建築言語は、ポストモダンの流れと共に一世を風靡した。

その風潮は消費されいつしか廃れたが、ロッシの建築は今なお福岡の地に輝きを放っている、日本のコンテクストに突然出現した、ヨーロッパの都市の断片、それは街並みとシームレスにつながっているのが、とても面白い。

この建物と、近くになるジョン・ジャーディの「キャナルシティ」これは、海外の建築家を起用した数少ない成功例である。日本的ではない強烈な空間が街を変えた良い例だと思う。


何回見てもこの建物の正面性はすごい、窓が全くなく列柱で処理している割り切り方!赤いインド砂岩の使用はヨーロッパと東洋の交点を意識したとのこと。

ホテルイルパラッツォHP

 

 

 

空間の劇性ーアーキタイプとしての円形劇場

 紀元前3世紀に建設されたタオルミーナの円形劇場。私が訪れたヨーロッパの空間の中で最も感動したもののひとつ。地中海の光と廃墟の影、海のコントラストが強烈だった。晴れた日に観れたのが良かった。


一時期、イタリアやスペインで円形劇場(アンフィシアター)ばかり見て回っていた時がある。私は、高低差のある円弧に抱かれた、その強い空間の劇性に惹かれていた。どの空間も素晴らしかったが、とくに感動したのはシチリア、タオルミーナの円形劇場、半円の客席と、舞台であった崩れたプロセニアムの廃墟の背後に地中海の海が広がり、まるで映画のセットのようだった。ここでは演劇祭の一環として、毎年オペラが上演されるそうで、是非観てみたかった。

円形劇場は日本にはもともとないアーキタイプで、私はその原型をヨーロッパで体験することで、日本では体験できなかった空間のイメージをつかみ、その劇性のとりことなった。

円形劇場は、古代ローマの支配のためのシステムの一つで、パンとサーカスとして、広大な帝国の支配を支えるテクノロジーだった。シチリアで、ギリシャで、スペインで見た円形劇場は、いずれも古代ローマ時代からの廃墟であっても、同じ骨格を持っていた。

視線が一箇所に集中するその強力な空間構成は、ヨーロッパの見世物や演劇感のルーツになっている。それは、花道や桟敷という客席と舞台の関係、日本の劇場の空間構成とは全く違い、日本の演劇とヨーロッパの演劇の考え方の違いにもつながっている。


東京オペラシティの中庭に、数多くのスタディの結果、最後円形劇場を埋め込むことになった。この模型を作ったとき、空間の見え方が一変し感動した覚えがある。
ガレリアの大階段は、劇場都市 階段都市がテーマだった。
円形劇場は、劇場都市をテーマにした東京オペラシティの最後のピースだった。


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東京オペラシティーガレリアの思い出

トップライト三題

 

ボスコ ソティ展/SCAI THE BATHHAUSE

バスハウス外観、その名の通り、本当に普通の銭湯、但しよく見ると、両袖に展覧会名が、、、木戸を開け、暖簾をくぐって入るところがお洒落。


湯島の事務所から歩いて12〜3分、散歩コースにあるSCAI THE BATHHAUSEを久しぶりに覗いた。これは銭湯を改装したギャラリーで、谷根千の散歩コースでも知る人ぞ知るユニークな場のひとつである。浴槽のあった場所を、天窓や吹き抜けも含めてうまく生かし、天井高さを確保している。気鋭のアーティストを常に紹介しており、場と作品が合ったギャラリーとして、私も常に注目している。

現在ここでは、ボスコ ソティというアーティストの個展をやっていて、これが煉瓦の素材感を生かした作品の展示が中心でした。「おが屑や岩を素手で扱い、素材との直接的な対話を重んじてきたボスコ ソティ。アーティストの制作拠点メキシコで採取した原土を焼き上げた彫刻作品を2015年から制作してきました、、、ソティ制作は、こうした素材のへんけいを創意に満ちた自然のジェスチャーとして捉え、素材がもつ物理的な性質やその変化の偶然性を、自らの作品の根底に捉えてきました。(ボスコ展チラシより)」

最近煉瓦の素材感について書いたり議論したりしていたので、これを紹介します。21日まで開催とのこと。


既設のタンクがオブジェのように見える。谷根千にあった雰囲気。


関連ページ

ギャラリーのhp、私もときどき覗いています。

SCAI THE BATHHOUSE

耐久性があり、古びるほど味の出る素材としての煉瓦について書いています。

古びない素材としての煉瓦

mattがプロデュースに参加した、ナイジェル コーツ設計の建物。これでもか、というくらい煉瓦が多用されています。

The WALL

私たちが設計した煉瓦タイルを多用した建物

Stream TAMAGAWA

 

古びない素材としての煉瓦

RCZ住宅HPのコラムに、煉瓦の素材としての魅力について書きました。最初構造材や耐火材として導入された煉瓦が、仕上げ材としての魅力でいま再注目されるべき存在であることについてのコラムです。長く使う建物には、経年変化により魅力が増す材料の選択が重要です。次世代に渡せる住宅づくりにむけて、資産としての建築の参考として、ぜひお読みください。

→古びない素材としての煉瓦